サクサク書ける大人作文「我が家のトイレ」深沢孝治
我が家のトイレは、車椅子で利用できるように改修されたものです。
母は、外出中に脳梗塞をおこし専門病院に搬送されました。医師の適切な治療の結果、身体に障害は発症しなかったものの失語症になってしまいました。失語症によって、療養中、医療・介護関係者とのコミュニケーションが上手くいきませんでした。その結果、精神的に不安定になり、身体機能を維持するトレーニングには意欲をなくしたうえ、認知症も進行してしまいました。やがて、老人保健施設の退所がせまると、二十四時間の見守りが必要な上に立つことは出来ても、歩けないので車椅子による移動しかできなくなりました。
そんな中で、母は、片言で自宅に帰ることを訴えるのでした。私は、こんな状態で、自宅に帰らずに、新な施設へ入所すれば、心身の状態はさらに悪化するのではないかと思ったのです。私は母が、少しの間でも自宅で過ごせる可能性は今しかないのではないかと思いました。それで私は、自宅介護の可能性を女性ケアマネジャーに尋ねてみました。母は要介護4の状態なので様々な介護サービスを選択することが出るというのです。さらに、彼女の経験では、家族の中で、腹をくくれるひとりがいれば介護は出来ると言うのです。そんな訳で、四十九才の一人息子は決心したのです。
私には母の自宅介護の為にしなければならないことをしました。まず、子育てが一段落した女性建築士に職場へ復帰してもらうことでした。なぜなら、私は、自宅の隣で工務店を経営しているので、勤め人よりも時間を自由にすることはできても、一日中、自宅や事務所にいるわけにはいかないからです。私の留守に、彼女に母の様子を時々でも見てもらうためだったのです。次は、改修工事でした。その中でも重要だったのは寝室とトイレでした。説明しましょう。
まず、寝室として八畳の座敷と南側の縁側を一体としてフローリング床の洋室としました。広くしたのは、母の介護用ベッドと私用のベッドを入れることと、車椅子の移動や回転を容易にするためでした。次にトイレですが、古いトイレは座敷から南西の方向にあって、直接行き来できませんでした。寝室から新しいトイレに直接入るために、八畳の座敷の西側に付属していた押入れを解体して古いトイレと一部屋にしました。寝室と同様に床を貼り直して洋室とし、中に洋式トイレと洗面化粧台を設け、北と西の腰壁には手摺を付けました。入り口となる押入れの襖と敷居・鴨居は三枚引き戸のセットにかえて、幅を車椅子が楽に入れるよう広げました。次に実際のトイレの室内の寸法とともに、什器の配置についてお伝えする必要があると思いますので、続けさせていただきます。
かつての押入れの北側の柱を起点とし、西に一メートル六十五センチ、南に同じく一メートル六十五センチの正方形を思い描いてほしいと思います。その中の西北の隅に寄せて東を向けて便器を配置してください。なお、紙巻き器は北側の壁の手摺の下の高さに、便器の手前の位置にあります。次に、その正方形の南西の隅から東へ七十五センチ、南に七十五センチの正方形のスペースを思い描いたら、北をむけて奥行六十センチの洗面化粧台を置いて欲しいのです。なお、車椅子の前半部分が洗面部分の下に入れるように床に接する下部収納ボックスは取り外したものとしてください。以上が、母が再入院する六年半利用したトイレの実像です。これからは、思い描いた空間を意識して、読み進めていただければ幸いです。
これからは、どのように母が利用し、私やホームヘルパーがどのようにかかわったのかをお伝えすます。自宅へ戻って、早々に失敗が続いたので、ヘルパーの提案で紙オムツを母に着けてもらいました。母とトイレの関係は途中で大きく変化するので、前期と後期にわけます。まずは、前期をかいつまんでお話します。横になっていることが多かった母が、もよおすと、片言で「トイレ」と言いい、姿勢を起こしてベッドの端に腰かけるますので、私は、車椅子の足をのせる為の二枚の板を立ち上げて、その間に足先が入る位置に動かして、車輪にレーバーを引いてブレーキをかけて固定します。すると、待っていた母は、車椅子の右のひじ掛けを右手で持って体を立ちあがって反転して、腰をかけます。私は、深く、安全に座っているのを確認すると、例の二枚の板を跳ね上がった状態から平らにして左右の足を板にのせて、ブレーキを解除します。さらに、トイレの入り口の三枚引き戸を引き開けて、車椅子を押して便器と正対する位置に移動して、例の板から足をおろし、ブレーキをかけます。それから、母の起立を手助けして、北側の壁の手摺を両手で掴んでもらったら、車椅子のブレーキを外してトイレの外に移動させます。次に、手摺をつかんで北を向いて立っている母のズボンと紙オムツをひざ下まで下げます。そうすると、待っていた母は手を放して体を反転させて便器に腰かけ、本来の目的をはたすことになるのです。まあ、これ以降の詳しい描写は省略させていただきます。
さて、後期は、自宅療養が始まって三年後に始まりました。ある朝、私は、母が、起き上がる気配を感じて目を覚ますと、母は、自分で車椅子を力ずくで引き寄せて立ち上がろうとしている時でした。ドスンと座ると、ブレーキを外し、例の板を足で跳ね上げて、床を両足につけて思案している様子でした。すると、母は器用に足を小刻みに動かして、車椅子をトイレの方向に向けると、足で床を蹴って移動して行きます。私が手伝うつもりで起き上がるよりも早く、勢いよく引き戸を開けると、手摺を持って車椅子から立ち上がりました。北面の壁にオデコを押し当てて、体を安定させると、手摺から放した両手で、ズボンと紙オムツを一気に押し下げて、便器に腰かけて座りました。
それから、私を見てニンマリと笑いました。用事を済ますと、自分で紙巻き器から紙を取り出して使い、水を流して、洗面化粧台で手を洗い、ベッドに戻ってきたのです。なんと二十四時間見守りが必要な介護4の状態の認知症の母は、排尿と排便が自分で出来るようになったのです。母にしてみれば、ヘルパーとは言え赤の他人、ましては、我が息子に、排せつ行為にかかわられるのは恥辱だったはずです。母なりの覚悟と工夫が生んだ結果だったのでしょう。そのころから、言葉の数も増えて、表情も明るくなりました。留守番の女性建築士とも積極的にコミュニケーションをとろうし始めました。時に、人目を憚らない食欲を見せる母を、彼女は、「奥さん、ひと皮むけましたね~、何時もあんなにご機嫌だなんて、認知症になるのも悪くないかも」と言って笑ったものでした。
その後、母は介護が必要な状態と、医療が必要な状態を繰り返した後に、残念ながら老衰で亡くなりました。工務店を生業としている私には、介護や療養を目的とする工事の依頼があります。高齢者のお客様の自宅の改修は、ご本人様への心身の負担は軽くありません。また、工事の内容いかんでは、古い住まいの改修は、我が家がそうだったように高額になるものです。私は、自分の経験から、高齢期以前に、自宅の敷地内に簡単な水回りを設けたホビールームあるいは書斎と称するような小屋を設けて、やがてくる療養期から看取りの時に備えるライフスタイルもいいと思っています。